母と過ごした1日の最後に
母の実家のお墓に お参りをした。
お線香をあげて二人でお念仏を唱えた。
実は母の実家の宗派をしらない。
母もとっくにわすれている。
まあこれでいいかと
私の持っているお経本を2冊取り出し
二人で声をだしてお経を唱えた。
私の声と母の声が重なる。
わたしは母のお経を読む声が聞きたくて
自分の声をすこし小さくした。
お盆もすぎたので 墓地にはふたりだけ。
間違っていようが 抑揚がおかしかろうが
だれも文句をいわない。
でも眠っている祖母たちは困っているかもね
なんてちょっとおもいながら。
子どもの頃の一大事が母には鮮明な記憶として残っているので、
なんどもその話をする。
車の中で母に話す。
「そんなつらいことばかり思い出さないで
安心して毎日楽しくくらそ。
みんなが おばあちゃんをささえるから。
おばあちゃんは一人じゃないよ。」
母と手を繋ぐ。
細くて骨ほねした手。
母の実家のお墓に お参りをした。
お線香をあげて二人でお念仏を唱えた。
実は母の実家の宗派をしらない。
母もとっくにわすれている。
まあこれでいいかと
私の持っているお経本を2冊取り出し
二人で声をだしてお経を唱えた。
私の声と母の声が重なる。
わたしは母のお経を読む声が聞きたくて
自分の声をすこし小さくした。
お盆もすぎたので 墓地にはふたりだけ。
間違っていようが 抑揚がおかしかろうが
だれも文句をいわない。
でも眠っている祖母たちは困っているかもね
なんてちょっとおもいながら。
子どもの頃の一大事が母には鮮明な記憶として残っているので、
なんどもその話をする。
車の中で母に話す。
「そんなつらいことばかり思い出さないで
安心して毎日楽しくくらそ。
みんなが おばあちゃんをささえるから。
おばあちゃんは一人じゃないよ。」
母と手を繋ぐ。
細くて骨ほねした手。
コメント
その間を繋ぐのがsaraさん、息子さん、
生きているということは誰かと繋がっている、ということなんですね。
私は 生きているということは誰かとつながっているという思いを年々強くしてすごしています。
Hという存在がうまれたとき、私の人生の縦軸が遥か先にのびたという実感がわきました。もうこれでよし、、みたいな。
自分が祖母という存在になり、息子たちは子育てを始める。
でも 人間には 今を共に生きる仲間がすごく大切でそれは横軸なんだと思います。わたしの横軸は夫 友達、ボランティア仲間。
こんな事が見えてくるのも50代なんでしょうね。