彼岸花

2010年9月29日 コメント (5)
彼岸花
あまりに素敵な気候なので、母を連れてどこかへ出かけたくなった。

夫に頼んで母の実家の墓参りに出かけることになった。

ここニ、三ヶ月、母の口からは
「・・・へ行きたい.連れてって。」
という言葉ばかりが飛び出す。
・・・は母の生まれたところ。

お墓までの道は山間の田んぼ道を選んだ。

田んぼのあぜにはきれいな彼岸花が行儀良く咲いていて
ひさしぶりののどかな風景に心が和んだ。

お墓に着くときれいな小菊がいっぱい飾られていた。
叔母さんは、いつもこうやってお墓をきれいに守っていてくれる。

母はもう手を合わせて拝むということも忘れたようだ。

こころゆくまでお線香を焚いてそこを離れた。


帰り道、母の実家に寄らせてもらった。

伯父さんがゆっくりと新聞を開いて読んでいるところだった。

急な訪問だったけど、車まで来てくれて母に声を掛けてくれた、
母の差し出す手をしっかり握って。

お昼ごはんにお寿司を買って家に戻った。

母のためにおかゆと刻み食を作っている間に
母の様子がひどく悪くなってきて
作った食事はほとんど食べてもらえずじまいだった。

病状に波があることはわかっているけれど、
きょうは体中がこわばり
話す言葉もさらに聞き取りにくくなってきたのをみて
どうかなってしまうのではと心配になった。

その後は横になり少し穏やかになった。

こんな状態だからトイレでの介助は以前にも増して大変だった。


いま私にできることは母に優しくすることだけだ。

ずっとずっと母に寄り添ってきて
母の病気とつきあってきて
母の病気が少しずつ母から人間らしさを奪っていくのを
見続けてきた。

これからも、ずっとずっと見続けていかねばならない。

通院している神経内科の医師は
「枯れていく」という表現をされた。

元気だった母が信じられないほど変わった。

母がその姿をわたしに見せてくれていることは
親の愛だとおもう。

お母さん、ありがとう。
もうすぐ母は89歳になります。

コメント

アミ
2010年9月30日5:55

saraさん!

30代で実母を亡くした私には、羨ましいお話です。
でも、実際に母がそうなったら、私はsaraさんのように優しく接することは出来ないかも・・・。
矛盾してる私です。
いつまでも仲良く、お大事に!

sara
2010年9月30日7:50

アミさん^^


ありがとう。
わたしは 週にいちど母に接するだけだから、ゆとりをもって接することができるんですよ。
実家の義姉は大変でしょう。

でも持分というものがあるとおもっています。母を想うことがわたしのできること。

母の通院に義姉といっしょに付き添うと、お医者さんはこんなふうに二人でケアできる例はほんとうに少ないといつも言ってくださいます。

のらねこ
2010年9月30日19:44

はじめまして。
私は 二十歳の時 母を亡くました。
母は52才でした。  しかも急死だったせいか、三ヶ月くらいの間 毎晩母の夢を見続けた 記憶があります。
父は一昨年の正月に
96才で天寿をまっとうしました。
母の時とは違い、父は
まだ私の夢には 出てきてくれません。
この違いは何?。
うまく言えないけど、
父にはいろんな事してあげられた 時間があり、
母にはなかったー
そんな事かなぁ〜
お母様の事読んで、本当に大変と思います。
友人の姑さんがそんな風で、
本当の身内じゃないと
大変さは 解らないと言ってました。
頑張ってください。
こんな事しか言えなくて
ごめんなさい。

sara
2010年10月1日7:48

のらねこさん^^
はじめまして。
 読んでいただいてありがとうございます。
 のらねこさんはお母様にしてあげられなかったことを
 お父様にたいしては十分にしてあげられて良かったですね。
 
 わたしの両親は長寿のほうです、父は87歳でなくなりました。
 もっともっと生きたかったと思います。
 
 現役で働いているときは自分たちの生活が優先なので親の思いを察する
 事が少なかったと思います。少なくともわたしはそうでした。
 
 残り少なくなってきましたが母と過ごす時間を大切にしようと思います。

 

のらねこ
2010年10月1日18:35

お母様といい時間過ごせたらいいですね(^^)
親はいつまでも元気でいて欲しいですね!

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